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<title>健康と生き甲斐をあなたに・・・</title>
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<description>　水墨画家の私が世界の舞台で活躍するまでの修行過程で苦学して得た貴重な人生哲学や実生活の上での心のあり方心の育て方、健康の為の食と体の考え方などを書き、多くの皆さんに是非読んで頂きたいと思います。また折々の関
連時事等についても論評したいと予定しています。スペイン国立プラド美術館財団会員・ハプスブルク宮廷芸術会員・日本、中国桂林芸術交流協会理事審査員　森　濤石


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 <title>健康と生き甲斐をあなたに・・・</title>
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<title>人間のインフラ</title>
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<description>　　　閑話休題

　人間のインフラ

　前項では本題に入る前に、私のご尊敬申し上げている千島喜久男先生の核になる部分の文献を一部紹介させて頂きましたが、今の社会で喧しく取り上げられている社会資産としてのインフラの整備は大変重要な課題であることに変わり有り...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-08-11T13:00:02+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　　　<b>閑話休題</b><br>
<br>
　<b>人間のインフラ</b><br>
<br>
　前項では本題に入る前に、私のご尊敬申し上げている千島喜久男先生の核になる部分の文献を一部紹介させて頂きましたが、今の社会で喧しく取り上げられている社会資産としてのインフラの整備は大変重要な課題であることに変わり有りませんが、私はこれを人間社会全体の中では大きく分けてハード部門のインフラと位置付けし、これに対して社会資産の諸設備を発明、考案してそれを使う人間をソフトと位置付けし、そのソフトとしての人間のインフラも前者のインフラ以上に重要なことであると、昨今、特に思いを新たにしています。<br>
<br>
　申すまでも無く、ソフトとしての人間のインフラを考えるときには、これを精神と体の整備に分ける必要が有ります。<br>
　私は水墨画家として水墨画を精神修養の柱と位置付けし「健康と生き甲斐」を標榜して活動していますが、今日の社会では心の部分のインフラの遅れが特に目を引き、色々とネガティブな社会現象を引き起こしています。<br>
<br>
　これは物や金とそれを優位な位置で取得するための競争社会が心の世界を置き忘れていると云っても過言では有りません。<br>
<br>
　日本人は、特に他民族に無いワビ・サビの長い歴史のある精錬された精神世界が有って、その精神の産物として先賢の残した多くの芸術遺産が有ります。<br>
　それらの尊い遺産が、これからの日本を背負って立つ若い人達に心を磨く領域であることを自覚させ、日本人としての心を取り戻させる大きな流れに導くのが政治の必然的な課題であろうと思います。<br>
<br>
　私は二十歳時代に一生の目標として精進していた書画の道を、家庭の事情でやむなく挫折した残念な思いを５０年の歳月を経た平成４年の春から、其れまでの一切を捨てて、６３歳の春、賛成してくれた妻と二人、岐阜県八百津町潮見を修行の地と定めて命をかけた人生最後の修行と研鑽に明け暮れ、そして１６年の歳月が瞬く間に過ぎてゆきました。<br>
<br>
　そして私は今・・・<br>
]]>
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</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50986253.html">
<title>無双原理で健康の神髄を語る</title>
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<description>私の実践的本題に入る前にご尊敬申し上げている
　　　　千島喜久男先生の研究文献に眼を通して下さい。
　　　　　　　　ごく普通の社会人でこのような文献にご縁を戴く
　　　　　　　　　　　　ことは殆ど希なことではないかと思います。
　　　　　　　　　　　　　...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-07-30T16:04:39+09:00</dc:date>
<dc:subject>健康　病気　食事　運動</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[私の実践的本題に入る前にご尊敬申し上げている<br>
　　　　千島喜久男先生の研究文献に眼を通して下さい。<br>
　　　　　　　　ごく普通の社会人でこのような文献にご縁を戴く<br>
　　　　　　　　　　　　ことは殆ど希なことではないかと思います。<br>
　　　　　　　　　　　　　　　どうか千島先生の命をかけて世界に問われた<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　この文献をご自分のものにして下さい・・・　<br>
<br>
　　　　　　　　<b>眼から鱗</b><br>
<br>
<br>
　　　　<b>思い込みの常識には間違いが多い!!</b><br>
　以下に展開される千島学説とその周辺の人間の命にかかわる<br>
大切な学説にご縁の有った貴方は神仏のお恵みが必ずあります。<br>
私は無双原理の立場からこの学説を支持し、且つ多大の恩恵を<br>
受けて、今日の自分があります。森　濤石<br>
<br>
<br>
　　　<blockquote> 医学定説「細胞分裂説」の疑惑</blockquote><br>
<br>
　　　　　　《医学定説を覆した千島喜久男博士》<br>
<br>
●血液は消化された食べ物から、腸の絨毛組織で造られる。定説の骨髄造血説は明らかな誤り<br>
●体細胞は分裂ではなく、赤血球が融合・分化して増殖する。生体の健康状態では細胞分裂は起こらない<br>
<br>
<b>千島博士の警告</b>：－<br>
「現代医学による医療ミス、薬害、難病に対する無策ぶりは、人体の生理構造についての、この明白な事実を無視した結果である。<br>
もしこのまま放置すれば、国民は医療の犠牲となり、その命と健康が重大な危機に瀕することは必至である。<br>
医師や医療関係者はもとより、ご自分の健康にとくに関心がある方々は、医学迷信、くすり迷信の洗脳からみずからを解放し、『千島理論』をぜひ毎日の生活で実践なさってください」 <br>
<br>
<u>千島博士は</u>、なんと半世紀におよぶ緻密な観察と実験を繰り返し、それを集大成した「革新の生命医学全集」（全１１巻５，５５０ページ）は１９７２年に出版された。<br>
<b>この業績に対し、昭和天皇は同書の献本を要望され、正五位勲三等瑞宝章が授与されている。</b><br>
もちろん、千島理論は世界の学界に知られており、その絶大な賛同者・支持者のなかには、がん細胞研究の世界的権威パリ大学アルベルン教授、血液学者ステファノポリ博士、モスクワ大学オパーリン教授など、超一流の科学者たちがいるのだ。<br>
しかし現代医学は、伝統理論固執の立場から、いまだに千島理論を容認していない。本当にこのまま、誤った定説に基づいて行われる医療を許しておいていいのだろうか？<br>
（千島博士「革新生命医学理論」より）<br>
<br>
<br>
医学はいうまでもなく、生命の世界を扱う学問です。だとすると前節で解説したとおり、たえず流動・変化する世界の研究に、デカルトの機械論的世界観は通用しません。このことは医学の根本思想にかかわる重要な問題であるのに、医学は科学的思考に追従するばかりで、この問題をあいまいにしたまま放置してきました。<br>
それをはっきり裏づけるのが、現代医学が定説として承認している、フィルヒョウの「細胞理論」と呼ばれる理論です。これこそ機械論の典型ともいうべきもので、多くの矛盾に満ちているにもかかわらず、一世紀ものあいだ、医学・医療の世界に君臨してきたのです。<br>
<br>
そしてこの理論がゆえに医学思想が混乱し、あらゆる医療処置を無意味で無効なものにしている――またそのことに誰も気づかないことが、さらに憂慮すべき事態をもたらしていると思われます。<br>
たとえば現代医学では、「病気とは何か？」ということさえ、いまだにわかっていません。現代医学は病気の症状を何とか取り繕うだけで、その根本原因を知らないために、病気そのものを治すことができないわけです。<br>
じつはフィルヒョウ理論には矛盾というより、むしろ重大な疑惑があります。以下、それをご説明しますが、次がその要旨です。<br>
<br>
1.	一つの細胞が二つに分裂し、さらにそれが四つに分かれる <br>
2.	すべての生命体は細胞のみで構成される <br>
3.	生命の最小単位は細胞である <br>
<br>
　多分お気づきのように、これが｢体細胞は細胞分裂によって増殖する」というあまりにも有名な説で、いまでは世界中の人々の常識となっているものです。もしこれが間違いだったといわれたら、おそらく皆さんは｢そんな馬鹿な！」といって、一笑に付されるのではないでしょうか？ <br>
しかしなんと、これらはすべてウソであり、フィルヒョウ理論は完全に間違いだと主張する学者が現れました。その人こそ、「血球分化説」と呼ばれる学説を唱えて一大センセーションを巻き起こした、日本人の故千島喜久雄博士という生物学者です。といってもほとんどの方は、そんな説など聞いたことも、いや千島喜久雄という名前すら、ご存じないでしょう。 <br>
もちろん千島博士も御多分にもれず、細胞分裂説を率直に受け入れ、これをずっと信じていた学者の一人でした。ところが、ふとしたことがきっかけでこの既成学説に疑問を抱いた博士は、なんと約４０年以上という超長期にわたる顕微鏡観察中、あるとき偶然に、赤血球が細胞に変化する姿を見てしまったのです。 <br>
当初わが目を疑った博士は、それ以降も粘り強く、数千回も同じ観察を繰り返した結果、フィルヒョウ理論を完全に否定する、次のような衝撃的な事実を確認するに至りました。 <br>
<br>
1.	細胞は分裂ではなく、赤血球の融合化成、血球分化によって増えていく <br>
2.	細胞構造を持たない組織はたくさんある。脂肪組織、横紋筋(おうもんきん)　　　 　組織、結合組織、硬組織など <br>
3.	細胞が壊れても生命は存在する <br>
<br>
しかしながら、博士がその膨大な観察・研究結果を論文に仕上げ、在籍する九州大学に提出し（１９４７年）、学位請求をする段階で、「あまりにも非常識な内容」といわれ、さまざまな中傷誹謗の的になったことから、学会承認の前提である教授会による審査報告もなされませんでした。 <br>
<br>
結局論文は１０年間も放置されたまま、学位取得どころか、日本では完全に無視され、日の目を見ることはなかったのです。 <br>
論文提出から１０数年後、博士は九州大学を辞職し、郷里近くの岐阜大学で農学部教授を勤めたり、教育学部生物科で研究に没頭するなど陽の当たらない遍歴がありましたが、その間もずっと実験を繰り返し、自説が間違っていなかったことを何度も確認しています。 <br>
<br>
そういった時代の１９６１年、博士は慶大医学部発行の英文雑誌に、「ガン細胞の起源」と題する論文を投稿しました。すると数年後の１９６５年、この論文が偶然にも、博士とまったく同様の研究をしていた、がん細胞研究の世界的権威パリ大学・アルぺルン教授や血液学者のステファノポリー博士らの目にとまり、それが縁となって千島博士の先駆的業績、すなわち「血球分化説」に全面の賛同と支持を表明するにいたって、「千島喜久男」という名前は一躍世界を駆け巡りました。 <br>
こうして世界の学会は一時騒然となったのですが、どうしたことかまるで線香花火のように、あっという間に騒ぎは立ち消えになってしまいました。それはいったい、なぜだったのでしょうか？ <br>
<br>
 理由はズバリ単純明快、巨大医療産業による口封じ、医学界全体を巻き込んだ隠蔽工作がおこなわれた可能性があるのです。どういうことかというと、フィルヒョウの細胞分裂理論によれば、たとえばがん細胞も当然、分裂・増殖するということになり、これを退治するには、がん化の疑われる部位の細胞をできるだけ早期に、根こそぎ取り除けばいいという理屈になります。 <br>
<br>
この考え方が合理的・科学的であるとされ、それに基づいてこれまで開発されてきたのが、いまや世界の医学常識となった医療手段、すなわち抗がん剤、放射線、外科手術といった、安定したリピート商業利益を生む治療法です。つまりフィルヒョウ理論こそ医療機関、いや医学界、巨大産学複合体にとって、願ってもないありがたい理論だったのです。なにしろそのお陰で、（日本だけでも）年間数兆円という巨額の利益が約束されているのですから・・・。 <br>
<br>
　まさに金の卵のようなフィルヒョウ理論を否定し、同時に現代医学の存立を脅かす千島理論は、どうしても認めるわけにはいかないのです。 <br>
それにもし、フィルヒョウ理論が誤りであることが一般に知れ渡ると、過去１００年以上も、誤った治療をつづけてきた国や医学界の信頼の失墜につながり、ひいては国民に莫大な賠償責任を負わされることになるでしょう。 <br>
<br>
　そうなれば医療従事者（医者、看護士、技術士など）、医療機関や医療産業、その関連企業で働く社員の失業保障、それら企業のスポンサリングで成り立つ全メディアの死活問題になることは必至であり、国の経済が大混乱に陥ってしまうわけです。 <br>
何がなんでもそうした事態を避けたい事情はわからないでもありませんが、だからといって誤った理論に基づく治療法が原因で、がん患者だけでも年間２５万人が現実に命を奪われ、さらに数十万という人々が、死亡よりもっと残酷な障害を負わされる不条理を放置していいわけがありません。 <br>
<br>
　心理学者ユングによれば、人間一人の命は、潜在意識のレベルで万人の命とつながっているといいます。その意味で私としては、集合的無意識下にある人間の良心は、利益追求のためには人命軽視もやむなしという、利己的で卑劣な特権意識の横暴をいつまでも許せるはずはない、と信じています。 <br>
国民の命を守るべき立場にある国や医学界は、もし千島学説の正当性が確証されれば、医療の大元凶となっているフィルヒョウ理論を追放し、千島学説を公認、導入すべきであると思います。 <br>
では、はたして千島博士の観察と結論に問題はなかったのか、それをつぎに検証していきます。 <br>
<br>
　まず生体（人体）のごく普通の生命維持の状況下で、体細胞が分裂によって増えていく現象を目撃したり、確認した人は歴史上世界のどこにもいません。 <br>
じつはフィルヒョウも含め、細胞分裂を見たと主張する学者たちは、平常時ではなく、きわめて異常な状況下における細胞の特異な振るまいを、正常な営みだと錯覚していたのです。 <br>
<br>
　細胞は大変デリケートなもので、気圧、温度、光、湿度などによる異常な刺激や、飢餓や断食による栄養分の極端な不足など、体内における環境条件が激変したり、細胞だけを人体から切り離し、そこに強い光線を照射して顕微鏡下で観察するなど不自然な状況におかれると、それこそ不自然な、平常時にはありえない現象を起こすことがあるわけです。 <br>
<br>
　こういったいわば生体が危機に瀕したさいに、自己保存という自然の英知が働いて、一時的に細胞分裂が起こることは、事実として確認されています。しかしこれは異常事態における、いわば生命のフェールセーフ（安全維持機能）現象とでもいうべきもので、本来の細胞形成（増殖）の姿ではありません。 <br>
<br>
　明らかにフィルヒョウは、断続的、断片的に観察したものを性急に判断し、それを不変の事実と錯覚したのではないか、と思われます。そしてそれが科学の大発展の時期に理論提唱されたため、ほぼ無条件に承認されたと考えられるわけです。 <br>
<br>
　一方千島博士は、固定組織の細胞ではなく、流動組織としての血液の存在を最重視していました。それは博士が、生命現象は一時も留まることがなく、たえず流動、変化するものであるという、当たり前の事実を見逃さなかったからにほかなりません。 <br>
フィルヒョウが、ある特定の部位の組織細胞を関連部分から切り離し、それを一時的に固定したり、不自然な操作を加えて観察したのにたいし、博士は生理構造ぜんたい、とくに消化器官に注目しました。それは次節で解説するように、博士がそれまでにカエルなどを使って行なった実験観察から、「血液は消化器官でつくられる」ことを、すでに知っていたことによるものです。 <br>
<br>
　それを踏まえて造血のメカニズムを注視したところ、なんと赤血球から白血球が生成され、次に白血球から細胞が形成される（いわゆる血球分化と呼ばれる）姿を、みごとに捉えることに成功したわけです。 <br>
<br>
　また博士以前の研究者が、鶏の胚子の生殖腺（睾丸・卵巣）の組織発生を観察するとき、胚子のウォルフ氏体（中腎）とその付随の生殖腺を切り離していたのを、博士はそれを切り離さずに、中腎と生殖腺を一緒にした標本を何百枚も作って、それから観察するという手法をとっています。 <br>
<br>
　すると中腎と生殖腺のできはじめのものには境目がなく、組織が連続していることがわかり、しかもその周辺には、血管を飛びだした赤血球が無数に散在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行していく姿を、しっかり確認することができたわけです。 <br>
<br>
　またこれらの観察中、それまで謎とされていた、一日に４０cc（２，０００億個）もの赤血球が消滅する現象の真相や、毛細血管の先端は開放型であるなど、思いがけないことまでわかりました。<br>
<br>
　なおここでいう赤血球とは、核のない無核細胞のことで、それにかんしては次節で、｢モネラ｣という概念があることをご説明します。 <br>
そして今しがた述べた、「血球分化説」（「細胞新生説」ともいう）が生まれる前提となった「腸造血理論」についても、詳しいことは次節以下に譲ります。 <br>
このように千島博士は、生命現象を部分や偏見にとらわれず、全体的、相関的に捉えていることからも、その発見と見解はフィルヒョウのものより、はるかに生命の本質に近いといえるのではないでしょうか。 <br>
<br>
　いやじつは千島学説は、そんな弱々しい疑問を呈するまでもなく、その主張にはフィルヒョウ理論に強烈な止めを刺すほどの威力があります。その明白な証拠が現代医学のがん治療の矛盾であり、がん細胞は分裂によって増殖するとし、それを阻止するためには、できるだけ早期に切除してしまえばいいとする誤った考え方です。 <br>
一方千島学説に従えば、ガン発生の原因は血液の汚れであり、血液の性状を改善しないかぎり、がん細胞は全身的に出現する可能性があるとします。そしてがん細胞は分裂増殖しない（本当は血球分化により増殖する）ことから、早急に切除する必要はなく、むしろ十分時間をかけて、血液劣化の原因となる食の誤りを是正すればよい、となります。 <br>
<br>
　体に大きなダメージを与えておきながら、その後も再発の恐れを除去できない、再発すればまた同じことを繰り返す、その間ずっと患者は拷問のような苦痛を強いられ、あげくの果てにその命まで奪われてしまう現実を見れば、そういった処置が論拠するフィルヒョウ理論がいかに間違っているか、もはや議論の余地さえないといえます（詳細は第六章を参照）。 <br>
<br>
　千島学説を無視しつづける世界、とくに医学界は、「真理はしばしば少数意見とともにある」という湯川秀樹博士の言葉や、「科学の本当の進歩は既存の学説を覆したり、修正していくことにある」という歴史の教訓を謙虚に受け止めるべきです。 <br>
千島博士の経歴について、次のサイトもご参考になさってください。 <br>
ところでフィルヒョウが細胞理論を発表してまもなく、メンデルとモルガンが遺伝理論を発表しています。一般的にこちらのほうがよく知られているため、おそらく皆さんもご存知かと思いますが、遺伝理論とは、「細胞核に染色体があり、その染色体のなかに遺伝子があって、それによって遺伝の基本的なパターンがあらかじめ決定されている」というものです。 <br>
<br>
　つまり遺伝理論は、細胞分裂を中心とするフィルヒョウ理論を土台に発展させた考え方で、本質的に｢生命は変わらない｣という固定観念です。 <br>
一つの細胞がまったく同じ二つの細胞に分裂し、それを繰り返すことで細胞は増殖する、その遺伝を決定づけるのが遺伝子だということで、この考え方は結局、元の遺伝子が変わらないかぎり、変わった形質が途中から発生することはない、となります。 <br>
早い話、これが現在の医学・生物学の定説であり、その固定観念がゆえにさまざまな矛盾が発生し、行き詰まっているわけです。 <br>
<br>
　癌などの難病が、親から受け継いだ遺伝だから「どうしようもない｣、「治らない」という考えも、この固定観念が医学常識として定着したものにほかなりません。 <br>
しかし生命の源は、細胞そのものに存在するわけではありません。生命の源は、細胞を新生させる血液、ホルモンや酵素、神経伝達化学物質など、細胞よりはるかに微小な超ミクロ物質のなかに存在する、と考えられています。となると生命体、ひらたくいえば生命はどこにでも存在しうる、ということで、「細胞を生命の起源」と断定したフィルヒョウ理論では、生命現象の因果関係が説明できないのは、当然すぎる話ではあります。 <br>
<br>
　そういった超極微のあらゆる要素がたえず流動変化を繰り返し、細胞はもとより遺伝子さえも不変ではない・・・これが生命体における生理機構の実態であるわけです（ごく最近、血液のなかに「ソマチッド」と呼ばれる謎の生命体が発見され、それがDNAを支配しているのではないかと推測されている）。 <br>
<br>
　じじつ、たとえば肉体上も性格上からも、親とはまったく異なる形質を受け継ぐ子供が生まれたり、同じ人間でも一代でさまざまな形質を持つことなど、固定観念では説明できないことは多々あります。現在の遺伝学・医学は、そういった異なる形質が出現するたびに、いまだにド・ヴリースの「突然変異説」を持ち出してきて、因果関係の説明を回避、拒否しつづけています。 <br>
<br>
　このように現代医学が執拗に拘泥する生命不変説は、明らかに近代科学、つまりニュートン力学の機械論的世界観の影響を強く受けたものであり、そういった固定的、分析的、直線的、不可逆的、排中律的な思考パターンでは、生命の営みを正しく捉えることはしょせん不可能です。 <br>
<br>
　つまるところ現代医学の正体は、人体をまるで機械の寄せ集めのように考え、細胞をその究極の部品とみなす機械論的・固定的分割思想の産物にほかならず、生命を扱う科学の一分野として、これがいかにとんでもない錯覚であるか、おわかりいただけたのではないでしょうか。 <br>
果たしてその機械論的思考の特色は、病気にたいする現代医療の対処法や、診療行為にはっきり浮き彫りにされています。 すなわち、<br>
<br>
&#8226;	がん、糖尿病などの慢性病や、膠原病などの難病は治らないと考える（がん細胞は無限に増殖する→直線的、不可逆的） <br>
&#8226;	風邪、アトピー、サーズ、肝炎などの原因を病原体によるものとする（病気は偶然に起こる→偶発的） <br>
&#8226;	組織や細胞、血液、血圧、尿、大便など、さまざまな検査を個別にする（部分的な現象に固執する→局所的、分析的） <br>
&#8226;	病気そのものではなく、病気のシグナルにすぎない症状を病気と断定する（病名を独断で決める→排中律的） <br>
&#8226;	病気の原因がわからず、生体へのダメージを無視する処置をとる（薬、放射線、手術に依存する→対処法が攻撃的）<br>
このように、フィルヒョウやメンデル・モルガンの理論を金科玉条(きんかぎょくじょう)とする現代医学は、じっさいは流動的、循環的、可逆的、全体的、統合的、なおかつ必然的である生命現象を、まるで正反対の概念で捉えている状況がおわかりだと思います。 <br>
「科学では生命はわからない」と主張する森下博士は、生命の世界にたいする科学的思考の矛盾について、つぎのように説明しておられます（「自然医学の基礎」より）。<br>
<br>
　「（西洋思想の土台となっている）二元論というものは、物理の世界では大変重宝な考え方である。車やロケットなど、機械を扱う分野で役に立つ。そういう世界では、この分析的、直線的、不可逆的、排中律的な考え方で十分通用する。 <br>
しかし生命の世界は、この考え方ではダメだ。生命の世界は、機械のそれとはまるっきり反対のものだからだ。 <br>
<br>
　生命現象の本質は、一言でいうと波動であり、ラセンである。生命の世界には直線も直角も存在しない。また生命の世界においては、すべては可逆的である。たとえば病気になっても、しかるべき処置を施せば、必ず『治る』という現象が生じる。 <br>
『治る』ということは、『元へ戻る』ということで、すなわち『可逆』ということである。よく今の医学は、特定の慢性病に対して"不治の病"とか、"絶対に治らない"などというが、それこそまさに西洋思想なのだ。アタマが痛いとか、下痢をしたというような症状に対しては、たいてい一過性で終わることから、さすがの現代医学も『治る』と考えているが、膠原病とかがんなどの難病に対しては、彼らは『治らない』と考えている。 <br>
　<br>
　いろいろと理屈はつけるが、基本線としては『治らない』という考え方をすえている。一度病気になったら治らない・・・この直線的思考こそ西洋思想の真骨頂だ。 <br>
けれども実際には、決してそんなことはない。生きている限り、いい替えれば生命現象が存在する限り、必ず元に戻りうる。条件さえ整えば、病気は必ず治るものだ。がんも例外ではない。この元へ戻るということが生命現象の最大の特徴である。 <br>
にもかかわらず、現代の医学者自身が西洋思想にかぶれてしまっていて、直線的で不可逆的な考え方をしているから、『この病気はもうダメですよ』などということを平気でいうのである。これは実に重大な間違いである。『どんな重症ながんの場合でも、生きている限り必ず治るチャンスがある』ということを、私は口がすっぱくなるほど患者さんに話している」 <br>
<br>
フィルヒョウ理論に戻って、この理論では一番元になる細胞がどこから、どのようにして生まれたのかが説明できません。しかし最初の細胞がどのようにできるのか、生命の発生にかかわるこの重要な現象を捉え、画期的な考え方を提示した学者がいたのです。それについて再び森下博士の「自然医学の基礎」から、一部を参照してご紹介します。 <br>
<br>
<br>
　　　　<b><b> 生きた物質｢モネラ」 </b></b><br>
<br>
こうして現代医学は、フィルヒョウとメンデル・モルガン理論を絶対の根拠としているわけですが、医学を科学の一分野と見るなら、生命を探求する生物学は本来、その基本とすべき重要な分野であるはずです。 <br>
その生物学において、生命を動的・発展的に捉える二つの注目すべき学説があります。一つはオパーリンの「生命自然発生論」で、いま一つはダーウインの「進化論」です。<br>
<br>
　オパーリンは「生命の起源」のなかで、つぎのような大胆な説を唱えました。<br>
「太古火の玉だった地球には、生物は何も存在しなかった。しかしやがて地球は徐々に冷えてきて、それにつれて無機物が有機物に発展していき、その有機物の一部が蛋白質になり、ついにそこからきわめて原始的な生命が発生した」 <br>
この説は、たとえばメタン・アンモニア・水、その他一、二の無機物をフラスコに入れて火花放電すると、かなり高級な蛋白質ができることから、正しいものとして今の生物学で承認されています。 <br>
<br>
　ダーウインは歴史的名著「種の起源」で、「アメーバのような原始生命が、環境の変化に適応しながら自然淘汰されつつ、次第に進化、発展してきた。つまり自然淘汰というメカニズムが働くことによって、よりうまく環境に適応したものが生き残ったのである」と述べ、これも生物学上不変の学説として、広く認められています。 <br>
かつて無生物だった地球に、今では数千万種類の動物や植物が生存している。この事実からも、「生命自然発生論」と「進化論」は、その考え方の根本は正しいものとして、認めざるをえないのでしょう。<br>
<br>
　するとここで、一つの素朴な疑問が生じてきます。フィルヒョウとメンデル・モルガン理論は、いうなれば「生命不変論」、つまり生命は変わらないという固定観念です。これにたいしオパーリンやダーウインの理論は、生命は変わるという「生命変動説」であり、流動的で発展的な考え方だといえます。 <br>
<br>
　これら真っ向から対立する二つの考え方が、生物学界において、いやじつは医学界でも受け入れられている、これはたいへんな矛盾というべきではないでしょうか？<br>
ところがこの矛盾について、学者たちはなんとも思っていない、というより問題にしようともしないわけです。これには学者同士のかばいあい、「わからないことはそのままにしておこう」といった怠慢や変な妥協が要因として考えられますが、前節で述べた医学思想の混乱は、案外こんなところにあるのかもしれません。 <br>
<br>
　さてオパーリンやダーウインの「生命変動説」は、フィルヒョウなどの固定思想とくらべると、生命現象をより本質的に捉えているように思われます。しかしこれらの説もよく考えてみると、１００％納得できるかというと、そうはいきません。<br>
なるほど、無機物から蛋白質ができることは厳然たる事実です、しかしその蛋白質がどうして生命を持つにいたったか、ということになると、オパーリンの説では説明できませんし、ダーウインもその点については明言を避けています。<br>
<br>
　森下博士は、「じつはここが生物学のもっとも大事な局面の一つなのだが、そこが谷間になっているわけだ。考え方の本質としては正しいのだけれども、問題が残されているわけである」と述べています。<br>
このきわめてデリケートな問題を追求したのが、前世紀の偉大な哲学者であり、ダーウイン進化論の熱烈な信奉者でもあったドイツのヘッケルです。ヘッケルは「モネラ」という画期的な概念を提唱したのですが、残念ながら生物学界でも医学界でも、その重要性に注目した学者はいません。その概念とは？　まずそれについてご説明しましょう。 <br>
<br>
　ふつう細胞は中心に核があり、そのまわりに蛋白質のかたまりであるコロイド状の細胞質があり、さらにそれを包む細胞膜がある、という構造をしています。<br>
そういうはっきりとした形態を整えた細胞にまで進化する前段階として、「“核のない細胞”という存在を仮定してもいいのではないか」という考え方で、ヘッケルは、その核のない細胞を「モネラ」と名づけました。 <br>
<br>
　つまり細胞になりきっていないが、いずれ細胞に発展するであろうという細胞の前段階の状態のもの、いわば「未完成の細胞」という発想です。現代医学・生物学は、このような考えにまったく見向きもしませんが、じつはこれは非常に重要な概念です。 <br>
そしてこれと同じような概念を提唱した学者が、もう一人います。ロシア（旧ソ連）の医者で生物学者のレペシンスカヤ女史がその人ですが、女史はその同じ概念を、「生きている物質」という名称で表現しています。レペシンスカヤ女史はソビエト医学アカデミーの正会員で、同アカデミーの細胞研究所所長でもあり、千島学説の絶大な支持者として知られています。レペシンスカヤは、卵黄の表面に発生する赤血球に注目することでその概念をえました。 <br>
<br>
　ニワトリなどの卵が孵化(ふか)するとき、よく見ますと黄身の表面に赤い斑点がいくつも出てきます。それが互いにつながって網目状になり、日がたつにつれてその網の目は細かくなっていきます。しかもその網はたんなる筋ではなく、なかが空洞になっています。 <br>
<br>
　そのチューブの一部が、やがてふくらんできて拍動をはじめる、するとチューブのなかを血液が一定方向に移動するようになります。それを観察したレペシンスカヤは、とくに卵の黄身の表面に赤血球が寄り集まって、赤い点になっているところに注目しました。顕微鏡で見ると、なんとそこは立派な細胞の形をしているではありませんか。 <br>
<br>
　そこでレペシンスカヤは、「これはいったい、どこからきたのか？」という大きな疑問をもったのです。そんなものはもともと、卵にはなかったことは事実です。卵の黄身しかなかったのに、孵化しはじめると赤い斑点がいっぱい現れてきたわけです。 <br>
「細胞は細胞から」というフィルヒョウ理論が本当ならば、この赤い斑点となっている細胞のその最初の第一個目の細胞は、あらかじめ卵の中に潜んでいたと考えなければなりません。そうでなければ、「細胞は細胞から」という考え方に反することになるからです。 <br>
<br>
　しかし途中から赤い斑点が現れているのが事実ですから、はじめから赤血球が存在したなどということはありえないわけで、「細胞は細胞から」というフィルヒョウの考えは、やはり間違っていたのです。 <br>
<br>
　じつは赤い斑点となった最初の細胞は、卵黄のなかから生み出されてきたものです。卵の黄身というのは、私たちが卵黄球と呼んでいるブロック状のものからできています。これは核も細胞膜もないので、細胞ではありません。その細胞ではないものから赤血球という細胞が生み出されている、これはもう、卵黄球が赤血球へと発展していっているとしか、考えようがないわけです。 <br>
<br>
　「卵黄は生命体？　それとも物質？」ということになると、これははっきりいって議論の分かれるところですが、今の段階では、物質（有機物質）だとみなす考え方が支配的です。そうすると、卵黄球という有機物質から「生命」が生まれたことになり、レペシンスカヤが卵黄球は「生きている物質」ではないか、と考えたことは正しかったのです。 <br>
<br>
　無生物と生命体という大きく異なった存在を連続相として捉え、その“つなぎの一段階”を発見したこの概念は、まさに画期的といえないでしょうか？ <br>
生命現象を固定的思想ではなく、流動的・発展的思想で捉えていくには、ヘッケルの「モネラ」という概念、およびレペシンスカヤの「生きている物質」という概念は、どうしても導入しなければなりません。そしてそれらは、次節で述べる「造血」問題を理解するうえで、不可欠の概念となります。 <br>
<br>
　いずれにせよ、生命の本質から遠く離れたフィルヒョウ理論に固執する現代医学は、生命現象の因果関係が説明できないという、医学としては致命的な欠陥があるわけです。 <br>
　　　　　　<b><u>つづく</u></b>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50963429.html">
<title>人生最後の船出だ&quot;ど根性&quot;で行こう・・</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50963429.html</link>
<description>＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊

　貴方と一緒に健全な心と体を作りましょう

＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊

　「身土不二」について

　過日、私の住んでいる八百津町の山間地、潮南の改善センターで...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-06-29T16:05:42+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊<br>
<br>
　<b>貴方と一緒に健全な心と体を作りましょう</b><br>
<br>
＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊　　　＊＊＊＊＊<br>
<br>
　<b>「身土不二」について</b><br>
<br>
　過日、私の住んでいる八百津町の山間地、潮南の改善センターで町長を囲んで町政質疑座談会が行われた時に私が少し質問をしました。<br>
<br>
　「一般によく云われる<b>インフラ</b>と云うのは社会資産としての鉄道・電気・水道・通信その他を指すと思われますが、これを<b>ハード面のインフラ</b>とすると、それらの設備の中で社会活動をしているのが人間で、人間にもインフラと言う定義は有ってよいと思う。社会資産のハードに対して<b>人間の場合はソフトのインフラと云うべきで</b>、当然、構成されるのは<b>心と体のインフラ</b>と云うことになります。<br>
<br>
<b>閑話休題</b><br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/8/a877d1ae.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/8/a877d1ae-s.JPG" width="160" height="120" border="0" alt="conv0027" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
町に寄贈した「澗水飛白」２０号　<br>
<b>メルボルン２１世紀日本文化振興芸術賞</b><br>
メルボルン日本芸術祭出品<br>
<写真をクリックして下さい><br>
<br>
町長室にて<br>
<br>
<br>
　近年、茶道や華道で代表される日本人固有のワビ・サビの世界では初心入門者の数が少なくなってきているように聞き及んでいますが、極端に云えば日本人らしい心の世界が薄れてゆく・・そんな世相を反映してか、巷に犯罪が絶えません。<br>
<br>
　私は水墨画家で作品を創作することを精神修養の中心に据えて研鑽している者にとっては非常に将来が案じられてなりませんが町ではどんな考えをお持ちでしょうか?<br>
・・と質問しました。<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/1/a1535267.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/1/a1535267-s.JPG" width="160" height="120" border="0" alt="conv0028" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
町・教育委員会に寄贈した「千尋飛瀑」３０号<br>
<b>コートダジュール国際芸術賞</b><br>
カンヌ国際芸術祭出品<br>
(写真をクリックして下さい)<br>
<br>
　町社会教育課・会議室にて<br>
<br>
　<br>
　町関係の話の序でに余談になりましたが・・・<br>
　<br>
　話を元に戻して・・<br>
　<br>
　設題の<b>「身土不二」</b>について話します。<br>
身土不二と云う言葉は、正食医学の方で特に大切な言葉として、その道に志す人として頭の中心から離れない真理の言葉とも云えるでしょう。<br>
<br>
　私的には、これを土壌と、その土壌から生まれる産物の二者を身土と云い、この二つは切っても切れない・・つまり不二。二つの物で無い。一つの物だ。一体の物だ。と云う解釈をとっている。これは、ある風土で土を耕し育て、そこで採れた作物は他の地方で取れた作物とは、違うのだ。同じ蜜柑でも紀州の蜜柑と愛媛の蜜柑とは違うのだ・・と云うのが、おそらく一般的な解釈ではないか・・と思われる。<br>
<br>
　<b>これが真理の言葉であるが故に敷衍すれば</b><br>
<br>
　体を土壌とすれば、その体に取り付く悪玉菌は、その土壌に住むことを快しとする、その土壌が創り出したか、外部から誘い込んだ・・と云うことになる。<br>
　だから人間は悪玉菌の住めない体、寄りつかない体、つまりそんな土壌を如何にして作れば良いか・・と云うことになる。<br>
<br>
　<b>また、一方で家庭を考えてみよう。</b><br>
<br>
　家庭は土壌である。<br>
　その家庭でどんな人間が育ってゆくかは、矢張り同じ考えを以てすれば身土不二の関係で土壌の悪い家庭では良い子は育ちにくいのである。<br>
　土壌のしっかりとした家庭には悪の入り込む余地が無いとも云える。<br>
故に良い土壌。良い家庭とは一体どんな家庭の事を云うのだろう・・そこが問題だ。<br>
<br>
　つづく　<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50962083.html">
<title>人生最後の船出だ&quot;ど根性&quot;で行こう・・</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50962083.html</link>
<description>＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　何処までやれるか俺の人生だ・・・

＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　私は誰にでもやれる事には興味がない。
親の頼みを聞いて目標の人生を曲げたが、今からでも、やる気が有るなら決して遅くはない...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-06-27T22:47:27+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　<b>何処までやれるか俺の人生だ・・・</b><br>
<br>
＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　私は誰にでもやれる事には興味がない。<br>
親の頼みを聞いて目標の人生を曲げたが、今からでも、やる気が有るなら決して遅くはない。一度しかない人生だ、親孝行は出来たし、後は俺達夫婦二人の人生だ。<br>
　妻が納得すれば何も云うこと無し、天下晴れて後はやるだけだ・・・<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/4/1/41e7ca29.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/4/1/41e7ca29-s.jpg" width="160" height="234" border="0" alt="conv0030" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
<br>
　正食医学を学んで体に自信の出来た私たち夫婦は、過去５０年の成果の結晶とも云うべき屋敷の全てを売り払って、書画完成の道へと舵をきった。<br>
　<br>
　写真の家は新築して２０年以上住んだ小牧の「九鯉庵」ここで娘や息子は高校時代を送り、そして社会人に・・更には結婚して、それぞれの第二の人生へ旅立っていった思いでの深い住居だ。<br>
<br>
　その思いで深い邸宅を売り払ってキッパリと、けじめを付けて妻と二人、修行の旅へと出発した・・私６３歳・妻６２歳の春のことです。<br>
<br>
　普通の人なら６LDKで池を配した家まで新築し何不自由なく暮らせたら、結構、満足出きると思うが、私の場合は欲得の世界では無く、私自身の修行を通して、私の生き甲斐とする人生を完成することに生きた喜びを持っているので立派な家に住むことや金持ちになる事が目的の人生では無い。<br>
<br>
　私は今、修行の地として選んだ岐阜県の八百津と云えば、第二次世界大戦で６千人ものユダヤ人を戦火の中から救った人道の人として有名な杉原千畝の郷で８年ほど前に廃校となった中学校にアトリエを設けて活動している。<br>
<br>
　人間、一生に一度自分の家を建てるのは、一つの大きな目標になる。しかし私はその目標を完成した。しかし、多くの地域の人達が廃校になっている旧中学校に移って其処にアトリエを開設し地域の文化のシンボルになってほしい・・と延べ５．６０人の人達が数日に亘って転居活動を敢行して下さると云う栄誉は、そう誰にでもあると云うものでない。<br>
<br>
　ほんとに有り難いことです。<br>
　この八百津町に転居してきたのは平成４年の４月ですからもう１６年に成ります。<br>
その間、水墨画の研究で出品し受賞したのは４５賞で作品１号当たりの評価額１０万円と年鑑に人気作家として掲載されています。代表的な受賞ではカンヌ国際芸術祭での「コートダジュール国際芸術賞」ウイーンの「ハプスブルク大文化宝物賞」やインドの「ガンジー平和賞」等。<br>
<br>
　こうした活動の出来るのも「正食医学」によって病気しない体を保持できるように為ったからです。<br>
　しかし、生まれながらの人は別にして、思い病気に為る人は自分の好きな食への思い入れが深いので、よほど、決断と努力が無いと健康が取り戻せない難しさがあります。<br>
<br>
　これから、色々な感謝を込めて私の健康実践録のようなものを書いていきます。<br>
　<br>
　つづく<br>
<br>
　]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50961248.html">
<title>健康への目覚め</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50961248.html</link>
<description>＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　何事を成し遂げるにも
　　　　　　　　健康無くしては不可能だ

＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　私は、この八月で満７９歳になりますが体は至って元気です。私の妻も一つ年下の７８歳に成ろうとして...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-06-26T22:47:20+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　<b>何事を成し遂げるにも<br>
　　　　　　　　健康無くしては不可能だ</b><br>
<br>
＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　私は、この八月で満７９歳になりますが体は至って元気です。私の妻も一つ年下の７８歳に成ろうとしています。<br>
<br>
　この歳で二人揃って元気で暮らしている夫婦は、そう多くは無いでしょう。<br>
<br>
　見ていて分かるので誰も聞いてはくれませんが、自問自答してみましょう。<br>
　<br>
    "　<b>あなた達は幸せですか　</b>???"<br>
<br>
 　　　　　　　　<b>・・勿論、幸せです・・</b>と答えます。<br>
<br>
　私たち夫婦は元来、体が弱く特に妻の場合は虚弱体質で若い頃から病気ばかりしていて、私たちが結婚して二人目の子供が生まれたときに、医者からは三人目は無理ですからと引導を渡されたくらいでした。<br>
<br>
　そんな私たちが健康で居られるのは「正食医学」のお陰です。<br>
私は前項でも書いたように２０年勤めて定年退職する２年ほど前から一念発起して毎月１回、２泊３日で１２ヶ月の講習に世界的に名高いCI協会の創始者無双原理の大家である桜沢如一の門を叩く事になったのでした。１９８０年の夏のことです。<br>
<br>
　無事、修学を終えて１９８１年の１１月に修了証書を手にした頃には、これ以後、恐らく私たちは病気と云うものとは縁が無くなるとの確信が得られました。<br>
<br>
　そして又、病気になるのも簡単なら、それを治すのも簡単だとの真理のようなものが会得できた思いでした。<br>
<br>
　それ以後、現実に７８歳の弱かった妻は２７年間一度も医者掛かったことが有りません。昔を知っている人なら奇跡と思うことでしょう。勿論、その道は私が妻の先生ですから当然。私も元気です。<br>
<br>
　私が定年退職を前にして、ここまで健康のことを大切に思うのには、それだけのわけがります。<br>
<br>
　２０年間勤め上げた自動車学校では「校風刷新」を掲げて詩吟と書で職員の資質向上に努め多くの有能な人物を社会に送り出すことに成功し、労組の委員長としても労使間の基礎的な整備はほぼ終わっていたので、５０年前に遡って、青春の志に燃えていた頃の書画への情熱を今度こそ中途半端に終わらないよう大成したいと願うからです。<br>
<br>
　つづく]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50920131.html">
<title>健康への目覚め</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50920131.html</link>
<description>　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　　健康の道・人の道

　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　第一章　健康の道に目覚める

　「定年間近」－2

 自動車学校で果たした私の役割はやり終えたと自負していた。
それは、経営者でもないのに学校が繁栄しなけれ...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-05-10T22:47:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　　健康の道・人の道<br>
<br>
　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　第一章　健康の道に目覚める<br>
<br>
　「定年間近」－2<br>
<br>
 自動車学校で果たした私の役割はやり終えたと自負していた。<br>
それは、経営者でもないのに学校が繁栄しなければ、それは自分の責任だ・・と思うし、労働組合も平の委員でいても組合の活動・運営に問題があれば自分の責任だと思う。だから書記長・副委員長・委員長となってからは尚更のことだ。<br>
<br>
　管理職を除く職員は全て組合員だから、校風刷新は全ての職員に影響を及ぼし校内の空気は、私が活動を始めてから一変した。職員が私のことを「お父さん」のあだ名で呼ぶようになった。<br>
<br>
　しかし、体の弱い私の頑張りにも限界が有った。<br>
委員長を後任に譲って楽になった私は、かねてからの念願である書画の道に進むためには体を造らねばならない。<br>
<br>
　私はかって「阿含宗」の千座行を２回完修させて戴いたことがある。<br>
そのときのご縁で「正食医学」と「無双原理」のCI協会を意識していて、いつか私には必要な学問として門を叩く日が来ると思っていたが・・いよいよ、その時が到来したのだ。<br>
<br>
　<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/6/c/6c8a80b8.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/6/c/6c8a80b8-s.JPG" width="160" height="116" border="0" alt="conv0001" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><b>写真をクリックして拡大</b><br>
<br>
　掲載した写真の通り毎月１回、二泊三日の講習を１年間受けて修了書を受けた。<br>
矢張り、専門的な世界というものは、実際に入門して学ばなければ分からないものだと、つくづく思った。　　つづく・・・]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50915916.html">
<title>健康への目覚め</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50915916.html</link>
<description>　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　　健康の道・人の道

　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　第一章　健康の道に目覚める

　「定年間近」－１

　
　人は誰でも無意識のなかで健康でありたいと願っているものであろう。

　私は、その頃、勤めていた自...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-05-05T23:12:13+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　　<b>健康の道・人の道</b><br>
<br>
　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　第一章　健康の道に目覚める<br>
<br>
　「定年間近」－１<br>
<br>
　<br>
　人は誰でも無意識のなかで健康でありたいと願っているものであろう。<br>
<br>
　私は、その頃、勤めていた自動車学校も後一年余りで定年退職を迎えるところにき<br>
ていた。<br>
　<br>
　自動車学校は、これまでの人生で最も長く二十年と五ヶ月勤めました。<br>
<br>
　学校で私のやってきたのは校風刷新を手始めに組合委員長として学校の繁栄と職員<br>
の待遇の改善のために新労働協約の締結。機関誌「輪唱」の創刊など、次々と新しい<br>
明日を目指して人生で最大限の努力をした。<br>
<br>
　勤めて三年目位から、詩吟と書を職員に勧めて校内に根づかせ、これを柱に校風刷<br>
新につとめた。<br>
<br>
　私の目指してきた努力は全て身を結びましたが、もともと体の弱かったので、限界<br>
を自覚して自ら委員長を後任に譲り平に下ったのでした。<br>
<br>
 退職後に若い頃に果たせなかった書画の道に５０年の空白を埋めて再び修行の道に入りたいとの希望を持っていたので、この時点で私が最も重大に認識するのは健康のことである。<br>
<br>
　何しろ、希望するのは山間の静かな所へ転居して修行したいと思っていたので、健康でなくては叶わない望みである。<br>
　ここで、いよいよ健康への道のりが始まる。それは如何に進行するのであろうか・・つづく<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/d/adaba833.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/d/adaba833-s.jpg" width="160" height="120" border="0" alt="conv0023" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/8/4/84cc7db3.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/8/4/84cc7db3-s.jpg" width="159" height="117" border="0" alt="conv0024" hspace="5" class="pict" align="left" /></a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50899677.html">
<title>新しい創作活動へ</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50899677.html</link>
<description>

＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　新しい水墨画の
　　　　　　創作活動が始まった。
　　　　　　　　
　　　　　　　　　森　濤石　(Mori toseki)

＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　私の住む地域としては歴史的な移転作戦を敢行...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-04-21T18:31:02+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/6/4/64821a84.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/6/4/64821a84-s.JPG" width="159" height="100" border="0" alt="conv0021" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/8/a858a17b.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/a/8/a858a17b-s.JPG" width="160" height="213" border="0" alt="conv0019" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><br>
<br>
＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　<b>新しい水墨画の<br>
　　　　　　創作活動が始まった。</b><br>
　　　　　　　　<br>
　　　　　　　　　森　濤石　(Mori toseki)<br>
<br>
＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　私の住む地域としては歴史的な移転作戦を敢行して戴いて、私たち後１年で８０歳を迎えようとする夫婦の新居とアトリエが写真のように周りを桜に囲まれた旧中学校に移され、熟年画家の創作活動が始まった。<br>
<br>
　私たちは新築して２０数年住んだ家を放棄してまで、何れかの山間に住んで、若い頃に果たせなかった書画の大成へ向かって活動を始めたのは１６年前で本格的に作品の出品を始めたのは９年前のことですが、この歳になると月日の経つのは、実に早いものだ。<br>
　この素晴らしい風光と人情の厚い土地で修行が出来たお陰で数々の世界的な受賞で国際的に名も知られ、人生の花道を飾れそうなところまで来ましたが、まだまだ、これからが本番だと思っています。<br>
　今の私では、未だ満足な作品は一枚も描けていません。<br>
<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/f/4/f4032871.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/f/4/f4032871-s.JPG" width="160" height="213" border="0" alt="conv0022" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><br>
<br>
　この作品は新アトリエからの出品第１作目で昨年春から日本・桂林芸術交流協会の理事・審査員を務めることになっての初出品である。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50896540.html">
<title>感動の有る人生を②</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50896540.html</link>
<description>＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　感動こそ真に生きている証

＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊
　
　　日々の感動・・
　今は交通の便が昔と違って山間地の奥に住んでいる人でも、時には海浜に出かけていって広々とした大海原をみること...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-04-19T12:17:31+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　<b>感動こそ真に生きている証</b><br>
<br>
＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
　<br>
　　日々の感動・・<br>
　今は交通の便が昔と違って山間地の奥に住んでいる人でも、時には海浜に出かけていって広々とした大海原をみることも、ごく普通の出来事となったが、交通の便が悪かった時代の人達が一生、生まれ育った山間の土地で生涯を終えることは決して珍しいことではなかった。<br>
　そんな人が、たまたま何かの縁で土地を離れ、生まれて初めて訪れた海浜で大海原を眺望したときには、「あれまぁ・・これは・・」と云ったかどうか、大きな感動を受けたに違いない。<br>
　さらには、また初めて富士山に登りご来光を拝んだときも驚きと感動で、まさに生きていることの実感をしみじみと感じた事であろう。<br>
そんな時、仮に何の感動も覚えなかった人が居たとしたら・・どうだろう、恐らくその人は心が死んでいるいるに等しい人と思わなければならない。<br>
<br>
　大なり小なり「感動」は人間が生きている証である。心に感動の起こらない人間は死んでいるに等しいのだ。<br>
そんな人間の感動が人と人の間を繋ぐとき、感動のある街、生きた街となり、街は栄え人々は、そんな素晴らしい街の住人であることを誇りに思うのである。感動の無い死人の街を作ってはならない。<br>
<br>
　・・・で、我々人間は生きている間にどれだけ、人に多くの感動を与えられる生活をしているか・・又、自分の心が受けているか・・これが真実生きたことの実感として、素晴らしく生きた・・また、素晴らしい世界に生かされたことを感謝して人生を過ごすことのできる幸せだと思う。<br>
<br>
　感動は、自分が受けることより、先ず少しでも人に与え事が大切なのだ。<br>
]]>
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<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50894217.html">
<title>感動こそ生きている証</title>
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<description>＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　感動のある人生を

＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊


　感動無くて何の人生・・・
　これが、私の生き方を代表する言葉です。人が胸中に発するポジティブな感動は、時にはその人の細胞をも再生させる...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-04-17T20:38:12+09:00</dc:date>
<dc:subject>健康　病気　食事　運動</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　<pre><b>感動のある人生を</b></pre><br>
<br>
＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
<br>
　<u><b>感動無くて何の人生・・・</b></u><br>
　これが、私の生き方を代表する言葉です。人が胸中に発するポジティブな感動は、時にはその人の細胞をも再生させる大きな力が有る。<br>
<br>
　<b>或る老いた登山家の感動とは</b><br>
<br>
いつかテレビで報道していた登山家の話に・・その人は若い頃にエベレストに登頂を果たしていて、現在は癌を病んで医者から。末期症状と宣告されていた。<br>
　彼は思ったのだ。いずれ長くない人生だ。もう一度だけ、あのエベレストに登ってみたい・・そしたら俺はいつ死んでも悔いは無いと・・<br>
その命をかけた思いに、彼の子供たちが心を動かした。<br>
　そしてそのエベレストへの登頂行がスタートした。健常者であっても大変な登山である。登山家の誰もが一度は登ってみたいと思う夢の登頂舞台だ。しかし、末期癌の彼には果たして可能かどうか、子供達に助けられての登頂とは云え、どだい無謀な戦いである。<br>
しかし、それは敢行された。そして登頂に成功した。その意志の強さ、思いの凄さ、そしてその山頂に立った時の、彼の胸中に湧き起こる感動たるや、何人も、その思いを彼と同じくすることは不可能であろう。<br>
恐らくかれは、その感動に慟哭し震えたことだろう。<br>
　その喜びを山に残して下山した彼は、それまで世話になっていた医師から、癌の症状がかき消すごとく無くなっていることを告げられたのだ。まさに彼の決死の登頂で胸中に湧き起こった感動が、彼の細胞を再生させたとしか云いようがない。<br>
かれは、まさに人生において大きな感動を二度も得たことになる。その感動によって自分の命をも再生させたのである。　続く・・・<br>
　<br>
]]>
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<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50877709.html">
<title>子供に教えたい大切なこと</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50877709.html</link>
<description>　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　　　　　感謝する心を育む

　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

     亡亀浮木の教え
　
　みなさん、皆さんは人間として生まれたことを当たり前のことだと思っては居ませんか・・ある日、小学校で６...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-04-06T22:32:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　　　　　<b>感謝する心を育む</b><br>
<br>
　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
     <u>亡亀浮木の教え</u><br>
　<br>
　みなさん、皆さんは人間として生まれたことを当たり前のことだと思っては居ませんか・・ある日、小学校で６年生の子供達を前にして私が話しかけました・・<br>
<br>
　当たり前では無いのですよ・・雑阿含と云う経本のなかに、こんな話が載っています。<br>
<br>
　お釈迦さまが大勢の弟子達を前にして「みんな、よく聞きなさい。暗い、暗い海の底に目の見えない一匹の亀がいたんだよ・・その盲目の亀が百年に一度だけ水面に浮かび上がることを許されているんだよ・・<br>
<br>
　やっと待ちに待った百年目がきて、その亡亀が水面に浮かび上がったとき、丁度そこに木の板が流れてきていて、その板の中程に亀の首が入るほどの穴があいているんだが、果たしてその亀がその穴に首を突っ込んで空を見上げることが出来るだろうか・・と弟子達に問いかけました。<br>
<br>
　弟子達は皆一様に首を傾げていたが、その中の年長の弟子が云いました「そんな事が有るとは到底、考えられません。百年に一度の水面で穴の開いた木片に出会うことさえ・・」と云いました。<br>
<br>
　お釈迦さまは「みんなも恐らくそう思うでしょう。しかし絶対に無いとは言い切れないのだよ・・人間の力では考えられない不思議なことが起こりますからね。<br>
　ただ私が、みんなに云いたいのは、人間として此の世に生まれてくることは、この亀の話より、もっともっと難しい事なんだよ。<br>
<br>
　それが「有り難い」つまり、そう有ることが難しい・・滅多に無いこと、出来ないことを、して戴いた。そんな教典の教えの中から、私たちが日常、使っている感謝の心を表す言葉として何気なく使っているんですね。<br>
<br>
　だから、人間に生まれたことを当たり前だ、等と思っている人には感謝の心は育たないし立派な人にはなれませんね。<br>
<br>
　ですから、人間は一つでも多く、感謝する対象に出会うことが自分を立派にしていくことに繋がるんですよ・・とお釈迦さまは、弟子達に優しく微笑まれました。(完)<br>
<br>
<br>
　<br>
　<br>
<br>
　<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50867843.html">
<title>有り難きを知る</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50867843.html</link>
<description>　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　

　　感謝の多い人ほど幸せになる

　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊






　社会の現状を見ると、スポーツや騒がしい音楽のライブに大衆が集まり、家庭内で落ち着きのない人間が益々増えてい...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-04-01T20:42:21+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　<br>
<br>
　　<b>感謝の多い人ほど幸せになる</b><br>
<br>
　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/9/6/96caf880.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/9/6/96caf880-s.JPG" width="160" height="120" border="0" alt="心を導く" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
　社会の現状を見ると、スポーツや騒がしい音楽のライブに大衆が集まり、家庭内で落ち着きのない人間が益々増えていく様相だ。<br>
<br>
　私は水墨画を精神修養の中心に据えて、心のありかたについて小学校やサークルで話をすることにしています。参考に為ることは是非、家庭で子供達に話してあげて下さい。<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/e/a/ea4143c9.JPG" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/ya9968ki/imgs/e/a/ea4143c9-s.JPG" width="159" height="102" border="0" alt="心を導く－２" hspace="5" class="pict" align="left" /></a><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
　ある日の小学校で「皆さん、有り難い、有り難う・・って、日常何気なく私たちは感謝の気持ちで云ってますよね・・何かの機会に本当の意味を考えることも必要ですよね、今日はこの「有り難う」を皆さんと考えましょう。<br>
<br>
　「有り難い」とは現実として、その事の有るのが難しい・・滅多に有る事ではないとかあり得ない事に出会った・・また、そんな大変な事をして貰った・・などの自分に与えられた好意に対する感謝の心を現す言葉ですが、私たちは日常、一寸した事でも感謝の気持ちを表すために使っています。それは、其れで良いことですが、釈尊は<b>「亡亀浮木」</b>に、こんな教えを残しておられます。<br>
　<br>
　　次回はご家族中で、これを考えましょう。<br>
<br>
<br>
　]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50865181.html">
<title>人を許す心</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50865181.html</link>
<description> 　***   ***   ***   ***   ***   ***   

  　　許す心も大切に　(2)

　 ***   ***   ***   ***   ***   ***   

　
　親鸞上人の教えを弟子が文字にして後生に残したのが歎異抄であると云う。

　前回の話は数年前のことですが、反省のない不心得の、自分本位の...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-03-30T19:25:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[ 　***   ***   ***   ***   ***   ***   <br>
<br>
  　　<b>許す心も大切に　(2)</b><br>
<br>
　 ***   ***   ***   ***   ***   ***   <br>
<br>
　<br>
　親鸞上人の教えを弟子が文字にして後生に残したのが歎異抄であると云う。<br>
<br>
　前回の話は数年前のことですが、反省のない不心得の、自分本位の欲得生活で周り<br>
の人達から「金の亡者」と陰口をたたかれて、参加した新年会で独り寂しい思いをし<br>
ている婦人に見かねて私は不満を抱く男達のところへ行きました。<br>
<br>
　とくに貴方の許し難い気持ちはよく分かります・・と、片隅へ男を誘って小声で話<br>
しました。<br>
<br>
　「数年前に私の読んだ本に歎異抄と云うのが有りまして、これは親鸞上人の教えを<br>
弟子が文字にしたものですが、　　<br>
　　　<br>
      (善人なおもて往生を遂ぐ　まして悪人おや)<br>
<br>
　これは今も私の心に残っている味わい深い教えです。私の思うには、善人と云うの<br>
は自分の才覚で客観的に物事を判断したりする自制心が働く心の自由な幅とでも云う<br>
か、だから普通は、あの人のようには成りませんが、ここで云う廣い意味での悪人と<br>
云うのは、あの人のように、生かされた自分の性格のままでしか生きてゆけない、反<br>
省が一切、出来ない生まれの人間と云うのは、仏様が救って下さるしか救いようが無<br>
いのです。そこで仏様が成仏往生させて下さるんです。<br>
　<br>
　そう言う、気の毒な生まれの人だと云うことを親鸞上人が諭しておられるのです」<br>
<br>
　と私が静かにお話しすると、今まで怒りを露わにしていた、その人ばかりか、他の<br>
人まで以後は、態度を転換して、その憎んでいた人に対する接遇も変わり柔和な顔に<br>
なりました。<br>
<br>
　心に怒りを持つと云うことは悲しいことです。人間を構成する世界には不要な人は<br>
居ない。<br>
　<br>
　そんな悪人と云われるような人が居るから聖人も必然的に現れる。<br>
　<br>
　自分は人間としてどの次元の生き方が似合うのかな・常に自己反省をしましょう。<br>
　　　　　　　　<br>
　　　　　　この話・・　　　　完<br>
<br>
　　次回は「有り難い」と云う<br>
　　　　言葉の意味と教訓を書きます。<br>
　]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50864252.html">
<title>許す心も大切</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50864252.html</link>
<description>　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　　　許す心も大切に

　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊

　こんな事が有った。

　山に住んでいる　ある老夫婦のことだがお金に汚く、多くの人達に多大の迷惑を掛
けてきた為に「金の亡者」などと悪口を云われていた。

　...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-03-29T11:52:58+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　　　<b><u>許す心も大切に</u></b><br>
<br>
　＊＊＊　　　＊＊＊　　　＊＊＊<br>
<br>
　こんな事が有った。<br>
<br>
　山に住んでいる　ある老夫婦のことだがお金に汚く、多くの人達に多大の迷惑を掛<br>
けてきた為に「金の亡者」などと悪口を云われていた。<br>
<br>
　その為も有ってか?　体を悪くして息子のいる町の方へと山を下りて行った。<br>
　しかし、山にまだ籍が有る年の正月にその女房が新年会に出席した。<br>
<br>
　しかし、皆の眼があまりに冷たいので片隅の机に一人顔を伏せていたので、あまりにも新年会の風景に合わず気の毒に思ったので、こちらへ、いらっしゃい・・と陽気に話している女性の仲間の処へ誘導した。<br>
<br>
　それでも男達は許さず一角で悪口を云っているので私が話をしに行った。<br>
<br>
　男達の言動は我慢が出来なくて自然について出る言葉で無理とは云えないが・・<br>
　私は親鸞上人の「歎異抄」を引用して次のように話した。<br>
　　　　　　　　　後は次回に続く・・]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://sumi.h-net-max.com/archives/50859099.html">
<title>あなたは人間としての位置次元は???</title>
<link>http://sumi.h-net-max.com/archives/50859099.html</link>
<description>　

　　※※　※※　※※　※※　※※　※※　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　
私のような程度の低い人間は
　　　　　
　　人間としてどれくらいの
　　　　　　　位置づけかなぁ　　　　　　　　　　　　　　　　　
　　　
　　　　しかし努力だけは人...</description>
<dc:creator>ya9968ki</dc:creator>
<dc:date>2008-03-22T15:02:24+09:00</dc:date>
<dc:subject>教育　感動　有り難い　感謝　孝行</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[　<img src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/emoji/ic_anger.gif"><img src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/emoji/ic_smile.gif"><img src="http://parts.blog.livedoor.jp/img/emoji/ic_smile.gif"><br>
<br>
　　※※　※※　※※　※※　※※　※※　<br>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>
<b>私のような程度の低い人間は</b><br>
　　　　　<br>
　　<b>人間としてどれくらいの<br>
　　　　　　　位置づけかなぁ</b>　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>
　　　<br>
　　　　<b>しかし努力だけは人に負けない　</b><br>
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>
　　※※　※※　※※　※※　※※　※※　　<br>
<br>
　位置づけと云っても、これは決して社会での役職や資産の有無ではない。役所や会<br>
社の役職で威張っている人間や、また資産が有っても金の亡者のような振る舞いをし<br>
ている極端に程度の低い人間が多いのだ。<br>
<br>
　しかし、どんな人間も人間社会を構成している貴重な人間なんだ。聖人のような人<br>
ばかりの集まりなら、それは最早人間の世界ではない。<br>
<br>
　人間社会には性格的に人に嫌われ、蔑まれ、また悪いことばかりしている人間達も<br>
結構多い。<br>
<br>
　こんな人が居るから聖人も必然的に存在する。聖人は生まれながらの聖人では無い<br>
<br>
　この汚い苦しい人間社会に生まれた自分を客観的に自覚し発憤し努力・研鑽修行し<br>
て悟りを開いて聖人とも云われるように為ったのだ。<br>
<br>
　だから聖人も人間社会の一人なら低次元の人間も同じ人間社会を構成する大切な一<br>
人なのだ。<br>
<br>
　同じ、人間社会の構成員の一人なら、自己の姿を客観的に自覚し、矢張り人に好<br>
かれ尊敬される目標に向かって苦しくとも生き甲斐の有る日常を送り、誇りのある一<br>
生を送りたいものだ。<br>
<br>
　＊＊次回に続きを書きます＊＊　　　　]]>
</content:encoded>
</item>

</rdf:RDF>